中途者の苦悩



 村中は熊本のt大学の畜産科を出ていた。
中学社会科の教職を持つ、28歳の弱視男性。
入学当初、彼はさすがに若者らしく威勢がよかった。
 「私はやるときはやる、がんばりますからね」
と、アピール。

 眼疾は洋二と同じ“黄斑部変性症”。
そのわりには、成績は上がらない。

 「今度、今度こそはやりますから、見ていてください」
誰も聞きもしないのに彼はそう言う。

 ルーペを使い、前かがみの姿勢は見るからにつらそう。
彼は1学期に点字を習っていたが、あきらめていた。


 「明日の昼休み、講堂でリハーサルをやりますので来て下さい」
ある日、村中は皆に言ってまわる。
 聞くところによると放課後、彼は遅くまで残って
弁論大会の原稿を作り、練習に余念がなかったらしい。

リハーサルには村中を含め校内から、
3人の弁士が出た。

 弁士は次々と披露していく。
村中は『私の将来の夢』というテーマで、盲学校に入ることになった
動機と将来の夢を元気よくしゃべった。
ピンと伸びた背筋に、腹の底から出される声は別人のようだ。
弱視で苦労したことや、病院に入って高齢者を治療して喜ばれたいと
雄弁に語ったが、インパクトは弱い。

 盲学校弁論大会は、全国から7ブロック9人の
代表弁士が募っておこなわれる。
近畿大会は6府県代表者から一人選ばれる。
その近畿大会の代表者を選ぶものだった。

 リハーサルはその予選だったのである。
村中は落選した。
落ち込みようは尋常ではなかった。

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 「この漢字、何て読むのですかね」
洋二が一服して教室に入ると、村中がたずねてきた。
 「え〜と、何ページの何行目かな」
村中は経穴経絡学の教科書を開いている。
手の陽明大腸経だった。言われるままに指をはわせる。
 「じゅゆ(臑兪)だよ」
ようやく捜し当て、読み上げる。

 「点字はいいですね。私らは漢字も覚えなくちゃいけないもんな」
 点字を覚えなかったほうが悪いのであるが、確かに字画の多い
旧字体の経穴は難しい。
 「横棒が3本なのか4本なのか区別がつかないし
はねているのか止めているのか、わかりにくいですよ。
そこを間違えてペケをつけられたことが何回もありました」

なるほど、墨字の人の苦労はつきない。
だが、点字使用者のほうは全てひらがなだから
丸暗記をするので、これも一長一短である。

 「何言うとんねん。わしはテープばかりで勉強するから
よー聞き間違えるで。しょうしょう言うたら少商なんか承漿なんか
わからんようになる。
肩B(けんりょう)は天B(てんりょう)に聞こえて
頭ん中は虫がわきそうや」
そう言ったのは筒井である。

 「不憫やの〜、虫がわいとったんか」
安本が横から頭をなでる。
 「じゃっかましいわー、お前に言われとうないわい」
村中も一緒に笑っていた。

中途で勉強する人は、それぞれ大変である。
浅田はテープを必死で聞いており、それは筒井も同じである。
安本は片眼だけの視力で判読している。
洋二は点字に切り替えたが、スピードは遅くて頼りない。

 それ以来、村中のぼやきが少し減ったように思えた。
それぞれの勉強スタイルは、どうにか落ち着きつつあるようだ。


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