築80年以上!





 私の店の東隣りは金物店。
50代の若夫婦がやっていた。
彼らとは引っ越してきたとき、顔を会わせただけだ。

開店準備を終え、仕事を始めていると
しばらくして隣りのガタガタ、シャッターを開ける
音が聞こえてくる。

金物屋は夕方、閉めるのも早い。
私が店じまいのときには
金物店はすでに閉まっている。

時々、金物屋へ回覧板を持っていくと、
 「そこに置いといてんか」
無愛想に主人は言う。
そそくさと出てくるしかない。
周りを見ると、工具やポリバケツ、ほうきなどがところ狭しと置いてある。
天井は低く入り口の戸は、木のさんが黒光りしていた。

だから、彼らとあまりしゃべることはなかった。

最近シャッターの音が聞こえないと思っていたら
いつのまにか閉店してしまっていた。
これも、お客さんからの話しで知るしまつだった。


ある日、腰をかがめた女性が戸口に立った。
あんまをしてほしいのだがと言う。ちょうど、空き時間だった。
招き入れて、ベッドに横になってもらう。

 「どこから来られたんですか。お名前は」
 「隣り、隣りの…ですわ」
 (え!隣り。金物屋か。シャッターの音はしなかったな)
5棟長屋の裏には同じ作りの5棟長屋がある。
その金物屋の裏と東側も自分の家で
出入りはそこからしていると、彼女は言った。
 (どうりで、最近物音がしないわけだ)

 「あんたは今年越してきたんやね。私は昭和10年から
ここに住んでいるんよ」
 「昭和10年ですか、じゃあー戦争の時も?」
 「いや、あんときは徳島に疎開しとった。このあたりは空襲にもあわずに
焼け残ったとこなんや」
それからは、彼女の独壇場となる。

 「2階からは、今では住宅が立ち並んで見えないけど
国鉄の汽車が見えて、田んぼや畑が広がっていたんやで。
蒸気機関車がモクモクと煙を出してな。」

 (フ〜ン、約1.5kmはあるだろうな)

 「2号線の向こうには野田阪神の駅も見えていて
生駒も六甲もよう見えてたもんや」

 (今とは考えられないほど空気が澄んでいたのだろう。だけど、ほんまかな〜
野田阪神まではここから4kmはあるだろうか)

 「昔はよかったよ、あんた。
12時ぐらいまで客はやって来るし
朝は6時になれば職人さんがシャッターをたたいて
道具を買いに来たもんや。若かったから寝る暇もおしんで
働いたわな。そのぶん儲けさせてもろたけどな」
彼女は、満足げに言うのだった。

ホームセンターができて、小さな金物屋は客が来なくなった。
時代の変遷には逆らえない。

昭和10年に嫁に来て住んでいるということは
この長屋は70年をこすことになる。
 「じゃあ、この家は築70年になるんですか」
 「いや、すでにここはあったから築80年は
越すんじゃないかな」

 「だけどな、長屋は丈夫やで。阪神大震災でも
びくともしなかったんやから。
人が住んでいると家も生き続けているわけやな」

とは言うものの、金物屋の隣りの町医者は
住む人がいなくてなかなか売れない。
改築費はかなりかかりそうだから、売れないのだろう。
こころもち斜めになっているように見えるが、私の気のせいか。

店にやってくるお客さんは口々に言う。
 「このあたりは昔はにぎやかやったんよ。ほら、そこの洋服屋の
あたりには映画館があってね。よ〜見にきたもんや。
あの頃はこの商店街の人は、いつ寝るんやろと思ってたんよ」

娑羅双樹の花の色、じょうしゃひっすいのことはりを表す。
栄枯盛衰は世の習いである。





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