ビールがうまい!


 学校近くの駅周辺は夕方になるといつものように、にぎわっていた。
買い物客や通勤帰りのサラリーマンが行き来している。

なじみの店のテーブル席は一つだけ空いていた。
この店は視覚障害者を理解していて、
スタッフにも接客マナーが万事、ゆき届いている。

 久しぶりに一緒になった筒井は上機嫌である。
筒井は日ごろはマッサージのアルバイトで忙しい。
なかなか飲みに行くことはなかったが、休みがうまく
取れたと言って、うれしそうにビールを飲む。

 「このマグロは仕入れ値がキロ○○ぐらいやから、
もうけは××ぐらいやな〜」
カウンター越しに聞いていたマスターは、笑みをみせる。
 「お客さん、かないまへんな〜」

筒井のまんまる顔は、すでに赤らんでいる。
 「実際、月にどれぐらい稼ぐの?」
マッサージのアルバイト代のことである。
浅田が遠慮げに聞く。洋二も興味があったので、
思わず耳をそばだてる。
 「え、ま、××万円ぐらいかな」
平然と言う筒井は、少し胸を張っている。
 「えー、そんなに稼ぐの。年金と合わせたらすごいな〜」
思わず、浅田は間髪をいれずに言う。
その瞬間、筒井の態度が明らかに変わった。

しばらくの沈黙の後、筒井はしゃべりだす。
 「実は、俺は年金をかけてなかったんや。
もちろん、国民年金をね……。
あの頃は卸売市場に魚介類を仕入れに行って、けっこう儲けてたからな。
景気がよかったから飲んで食べて、遊んでいたんや。
年金のことなんか、これっぽっちも考えてなかったな〜」
ゆっくりと話しながら、嘆息をもらす。

 一口で視覚障害者といっても、環境は千差万別。
環境が違えば考え方も、もちろん違う。
いったん社会に出た洋二ら中途者は、
生きるために必死。
それは、表面には出さないものの、にじみ出ている。

たいていの人は、視覚障害(特に全盲者)になると
絶望的になり数年間は立ち直れないなんてことを、
よく、聞いた。
それを助けてくれたのが、障害年金。
この制度があることを知った時は
世の中捨てたもんじゃないと、洋二は喜んだ。

 しかし、喜んでいられない人もいた。
中途者は自営業と会社員で条件が異なってくる。
国民年金と厚生年金、また共済年金などでは、
障害年金の需給金額が違う。
年金をかけた年数で、障害年金は決まります。
二十歳を過ぎて障害者になったら、掛け金(給料が高ければ
掛け金も高い)とかけた年数で計算されます。

大卒初任給ぐらいをもらっている人もいます。
(これはほんの一部)
ほんの数万円しかもらっていない人もいます。

そうかと思えば、障害年金がまったく出ない人も。
年金をまったくかけていなかった人です。
まさか、自分が事故や病気で障害者になるなんて
夢にも思いません。
筒井は、無年金者だったのです。

触れてはならないものに触れたと、浅田も無言になる。
いつもへらず口をきく、安本が横から言う。
 「そりゃ、年金をかけていなかったんやから
自業自得と言われたらそれまでやわな。
だけど、生まれつきの障害者だったら年金が
あるんやからな。そのへんを考えて欲しいもんやわな」
浅田と洋二は皆より少し、多めの年金をもらっていた。

手に持ったジョッキを飲み干してから、筒井は続ける。
 「ま、ぼやいてもしゃーない。自分のことは自分で
やるしかないさかいな。うちの嫁はんも貯金、貯金って
がんばってる。卒業したら開業しようと思ってる。
……だけど、ここのビールはうまいな〜。
マスターもう一杯」

筒井夫婦は子供はいない。
やがて五十路になろうとする筒井の意気込みには、
返す言葉がなかった。

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