やるしか、
  ないわな〜


 解剖学の畑中先生は定年を過ぎた
嘱託の全盲の先生であった。

 なんと嘱託になって、6年目。
67になってもまだ嘱託をしていた。
普通の学校では考えられないことだ。

 だが、この老人のごうけんな気性には
いつも感服させられた。

 総論が終わったあと骨格系に入ると、
骨の模型や実物を持ってきて
説明をはじめた。

 クラスには4人の全盲者がいるので、
一人ひとり彼らの手を取って触らせていった。

 残りの弱視者は周りを囲んで、それをながめる。
洋二はそれを見ながら細かな部分がわからないいらだちを覚えた。
4人に説明するだけで時間をとられるので、
イメージをふくらませ教科書を
熟読することで理解するしかなかった。

 畑中は教科書を持ってきていたが
開くことはめったになかった。

 全12巻の本は、点図がわかりにくいうえ
膨大すぎる。
わかりやすいように解説を加えることで、畑中は授業をすすめた。

 「今から小細を述べるから、ノートの準備はいいかな」
畑中は空で説明をしていく。

 なんと本1冊をまるまる暗記しているのだ。
いや、他の科目もそうなのかもしれなかった。

機関銃の音がやむのを見計らって、次を説明する。
あまりにも早いスピードに、墨字を書く学生が

 「ちょちょっと待って。間に合わない」
ストップをかけることは、しばしばであった。

 「先生、その漢字はどう書くの」
 「え〜と、へんは○○で、つくりは△△だ。その下に□□の漢字の
下の部分を書くんや」」
どんな難しい医学用語の漢字についても、完璧に説明をする。


 現役医学生はこの解剖学を半年ほどで履修するらしい。
盲学校では2年かけて、学習する。
しかも、局所解剖学はその後にやる。

 畑中は1分1秒も惜しいと、無駄な時間を嫌った。
それでいて、ついて来れない学生に対する配慮も忘れていなかった。

 「川村、どやわかるか。ノートはどうしてる」
 「はい、とても書けないので、テープでとってます」
それ以上、畑中は聞かなかった。

 洋二はテープを持ち帰りそれをほりおこし、点字のノートを作った。
1時間の授業をノートにするのに2時間半から3時間かかる。
ノートを作るだけで疲れ果て
勉強までは手がとどかない。

 1学期の中間試験は34点だった。
安本らは60点を取っており、
洋二は屈辱感だけが残った。

 スクールバスの中で聞いていたテープを点字のノートに変えた。
ノートは間違ってばかりであったが、それでも暗記することは、
やめられない。


 「人体の骨の数は個人差はあるが、大人で206個
赤ちゃんは300個以上だと言われる。
なんで数が違うか、わかるか川村」

 突然の質問に洋二は狼狽する。黙っていると
 「わからんのなら、わからん言わんと。
見えへん者に失礼やろ」
 「すんません。わかりません」

 このとき初めて赤ちゃんの骨は分化して生まれ、
しだいに癒合して大人になることがわかった。
 見るもの聞くものすべてがはじめてで、物珍しいものは
新鮮さをもたらせてもくれた。

 (けっこう解剖学はおもろいな)
洋二は一人ごちした。
  

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