映画.ふみ子の海


   映画ふみ子の海
      (盲人版.おしん)

 12月1日の封切りを待ちに待って、定休日(7日)に
「ふみ子の海」を見に行ってきました。
前売り券はなかったので、時間を早めに到着。
ところが、いざ入ってみると、観客は150人ほどの客席に、
数えるほどしかいない。
(ざっと見まわして20人ほど‥かな)
私のように、ガイドヘルパーを連れて見にきている人が、数グループ。
しかも、この映画は障害者割引で1,800円が1,000円。
これでは赤字なのでは??。
今後、このような映画が作られないのではと、まず危惧された。


 この映画は、盲女性自立の先駆者となった粟津キヨさんの
体験をもとにしたものです。「ふみ子」は、粟津キヨさんそのままではなく、
作者が、粟津さんから直々に聞き書きした様々な体験と、
更に作者自身が盲学校の教師として盲児たちと過ごす日々のなかで
あたためてきたイメージを重ねて生まれたものです。
昭和初期の盲女性の生き方が、綴られています。

ストーリー 

 物覚えがよく、利発なふみ子を当時日本で3番目にできた
盲学校へ入れたいとふみ子の母は考える。
考えたあげく、恥を忍んで本家の大旦那(中村敦男)に頼み出る。

学費は年間.3円、小遣いとして月50銭。確か月米1升分とか…
山奥で農業をやっている母親は、現金収入がなかった。
だから、本家に頼むしかないのです。
瞽女宿をやっている大旦那は理解あると思ったが、がんとして拒否。
 「女に学問はいらぬ。お前が死んだらこの子は一人で
生きていかなければならないんだ。ちょうど高田のあんま屋が
女の子を欲しがっているから働かせたらどうや」

 一見して何てけちで非道な大旦那と思われます。ところが、そうではない。
盲女性が一人で生き抜いていくには道は狭く、限られています。
瞽女になるか、あんまさんになるしかない。
どっちを選んでも、修行は厳しい。
大旦那はそうするほうが、最もいいと思ったんですね。
私は大旦那に同意していました。
 (※瞽女(ごぜ)については、下記リンクを参照)

ここで、瞽女さんの踊りや唄が登場します。
今や見ることのできない、伝統芸能。画像で見れるのもここだけかも。
必見の価値ありです。

 母親は瞽女にもあんまさんにも、わが娘をしたくない。
だが貧窮の母親を救うには、あんまさんになるのがいいと
雪の中を竹棒をつきながら大旦那に頼み込みます。
たった、9歳であんま屋奉公に出るのです。
手付金300円で母親は、生活が安定するだろうと考えます。(/_;)

 映画は、あきれるほど差別用語も出てきます。
駄菓子屋でコンペイトーを触ったふみ子に
 「こらー、汚い手で触るな。え、めくらか。今度は目の見える人を
連れてくるんやな」
花見をしていると、宴会をやっている軍人が
 「ハハハ、めくらが花見とは笑わせるぜ」てな感じです。

 あんまの修行のシーンでは、高橋恵子の必要なまでの厳しさ。
腹臥位(うつ伏せ)で、師匠はゆのみに水を入れて横に持ってもんでもらう。
あるいは、坐位でもませる。もちろん、手にはゆのみ。
それを、こぼれないよう叱咤し、なおもツボにあたっていないと罵倒する。
 (私なんかは、こんなことやったらすぐに首だろうな〜)

一人歩きも身体で覚えなければなりません。
基本的には、お店に客が来るのではなく流しあんま。
自分の力で客を取るわけです。
一人歩きは生きていくうえで、必須となります。

 雪の積もった道路で、足を踏み外し川(もしかすると、水路)にふみ子は落ちる。
創造するだけで身が縮む。あやうく老人に救い上げられるが、
実際には何人もの人が、厳冬の中で死んでいったのだろう。
創造するだけで、気が重くなる。
現代でも、線路に落ちた話しをよく聞くが、いつの時代も危険性は高い。
が、危険度は現代社会の比ではない。

 私には、想像もできない昭和初期。
日本の福祉はまだまだだと、よく言われる。
なんのなんの、改めて現代に生きる幸せを感じずにはいられなかった。
障害の壁にぶつかり弱気になることがよくあるが、この映画を見て
甘っちょろい自分が恥ずかしくなった。
弱音をはいたら申し訳ないと、考えさせられた映画であった。

 一緒に行ったガイドヘルパー女子も、時々涙を流していました。
「この映画はガイドヘルパーをやっている人は必見ですね。
いい映画を見せてもらいました]
と、ポツリと感想を一言。

ふみ子の海

瞽女(ごぜ)とは

△参考文献
○「ふみ子の海」 市川信夫著 / 理論社刊
○「光に向って咲け -斎藤百合の生涯-」
 粟津キヨ著 / 岩波新書刊

                (2007年12月23日)
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