あん摩マッサージ指圧の実技は、予想以上に難儀を呈した。
元来、洋二は身体は丈夫で自信はあったが、腕力には自信はなかった。
洋二の手を見て前々から
「とても男の指とは思えないわね。指だけ見れば
女に間違えられてもしかたないわ」
と、妻は言い、洋二も同じように思っていた。
実技は九条という全盲の先生の担当。
まずは腕力をつけるため、腕立て伏せをやる。
久しぶりの運動で、すぐに汗まみれになる。
さらに指立て腕立て伏せへと、
付加を増やしてゆき、腹筋を鍛える。
この時点で洋二はへばってしまう。
次は、座った相手の肩をひたすら拇指(親指)で押す。
力が入らない、腕が、そして指が震えてくる。
「安西さん、もっと力を入れて、体重をかけて」
九条が、叱咤激励する声が聞こえている。
この先生は優しい人だが、言うことは厳しい。
安西の荒い呼吸が聞こえる。
今度は洋二の番である。
「じゃあー、やってもらおうか」
洋二は力いっぱい九条の肩を押した。
「はじめからそんなに力を入れたら、もたないよ。
まず拇指に集中させて
ゆっくり押してみて」
言われたとおりにすると、指がふるえてくる。
「あ、振顫か、気持ちいいな」
皮肉まじりの九条の肩は岩のように硬かった。
学生らにもまれているうちに、どんどん硬くなっているのだろう。
力をこめても涼しい顔で九条は応答している。
「もんでお金をもらうって、しんどいことでしょう」
洋二は呼吸が乱れて、返事ができない。
次は安本だった。彼はあん摩マッサージの資格は
すでに持っている。もう実習の必要はないが、
いちおう授業は受けることになっているようだ。
安本は放課後や休日はあんまのアルバイトをやっている。
「さすが、うまいもんだ。言うことないな」
九条はみんなに、聞こえよがしに言った。
浅田は洋二と違ってがっちりした体型である。
「浅田さんは、あんまの実習なんかどおってことないでしょう」
「そんなこと、ないよ。痛くてたまらんよ」
浅田の拇指のつけ根は熱をもち、さわると腕をひっこめ
顔をゆがめる。
「じゃあー、タオルをしぼるのつらいですか」
「タオルどころか、水道の蛇口もひねられんわ」
あまり愚痴を口に出さない浅田が、めずらしく弱音をはいた。
洋二も親指のつけ根がはれあがり、指の先まで痛かった。
やがて前弯から上腕の筋肉も痛くなってきた。
エアーサロンパスを炎症部に塗ることは、いつしか日課となっていた。
「お父さん、くさいな」
子供たちは鼻をつまんでいやがり
妻がそれを制する
1ヶ月を過ぎたころ、ようやく腕にも指にも筋肉がついてきた。
爪を痛くないようにけずると深爪になり、
痛みもやわらいできた。
ところが、そうでない者がいた。
安西は糖尿病で視力を失い
腎不全で週に3度透析を受けている。
皮膚は茶褐色でやせた身体は、マッサージをやる人には見えなかった。
手首のシャンテを触れると、
(こんなにも血液の流れは速いのか)
生命の営みの偉大さを、感じさせてくれる。
爪の先が割れた安西は
治るのに普通の人の何倍も時間を要する。
「川村さんはいいですね。目は弱視だし力もある。
私なんか点字は読めないうえに、体力も無いんだから」
返す言葉につまってしまう。
糖尿病は知覚鈍麻(どんまがあり指で
点字を読むことが難しい。
透析に要する時間は1回に4時間から
5時間もかかり、週3回となるとかなりの負担。
西本は全盲でペースメーカーを入れている。
15分ももめば呼吸はあらくなり、マッサージどころではなくなる。
膠原病をもっており、それは進行していた。
「私は体力がないので、針で生計を立てようと思ってます」
そう言う西本の言葉には、希望がこもっている。
視力の障害だけでなく、あらゆる疾病を会い持つ学生も
少なくはない。こんな現実に遭遇するとは、
洋二は思いもよらなかった。
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