お願いできますかね
チャイムがなった。
「ちょっと、待っててよ」
洋二はマッサージをしていた手をとめて
玄関先に出た。
よろよろと手すりに老い屈まる男性が立っていた。
「お願いできますかね」
そう言うや、靴を脱いで入ろうとした。
「すみません。うちは“予約制”ですので、今は無理ですよ」
ドアの横に“予約制”の看板を掲げているが、見ない人が多い。
「いつなら、できるの。いつでもええで、わしは。
足だけでいいんやけど、なんぼするの」
「明日9時半でどうですか。足だけなら
30分でいいでしょう。2000円ですね」
洋二は言いながら、少し不安を感じていた。
「悪いけど、神に書いてくれへんか」
メモ用紙に明日の予約時間を書いて、名刺を付けて渡した。
「もし、来れない時は電話してください」
あくる日、9時半になっても男性は来なかった。
10時過ぎからは、いつものように仕事が入っていた。
昼前に、昨日の男性がやってきた。
洋二は仕事をしていた。
「お願いできますかね」
男性はまた、靴を脱ごうとした。
「あ、ちょっと待って。昨日も説明したように“予約制”ですよ。
それに昨日、紙に書いて今日の9時半って言いましたよね」
男性はぽかんと口を開けた。
「そうやったかいな。それは、すまんことした。
それで何時ならできますか」
「昼の2時なら、いいですよ」
「なら、それでお願いします」
今度はメモを要求しなかった。男性が出て行った後
おそらく、また来ないだろうと思った。
昼からは小雨になった。ますます、来ないだろうと確信した。
2時をまわった。男性は来ない。
(やはりな…)
その時、電話がなった。昨日の男性だった。
「雨が降ってきたから、今日は行けません」
「そうですね。わかりました」
(なんや、しっかりしとるやないか)
「明日は何時ごろ空いてますか」
「朝の9時はどうでしょう」
受話器の向こうで誰かにしゃべって、メモを取るように
指示している気配がした。奥さんだろう。
「それで、お願いします」
私は、すかさず電話番号をひかえた。
翌日、9時になっても男性は現れなかった。
私は気にしないことにした。昼食を食べおえ
歯をみがいている時だった。
「ごめんくださいな。お願いできますかね」
あの男性が立っていた。2時までは予約はなかった。
「どうぞ、お入りください」
男性は老い就く動作で、スローだった。
ようやく脱ぎ終わった男性を
仰向けに寝かせた。細い足は筋肉が硬い。
(加齢による脊柱管狭窄症だな〜)
「あ、気持ちいい。うまいね先生は」
「お幾つですか」
ちょっと大きな声で聞いた。
「え、あ、年か。67歳じゃ」
「へえ〜、なら昭和○年生まれですか」
「いや、大正○年だよ」
計算が合わない。15も違うではないか。
なるほどと、合点した。
男性が帰った後、洋二は彼の家へ電話をかけた。
女性がでてきた。名のった洋二を警戒していた。
これまでの経緯を話した。
「ですから、予約制の当方としましては時間を守ってもらわない人は
できかねます。
ただ、今日、さわったところでは15分もあれば
少しはもむことができます。時間があれば、そうしたいと思っています。
忙しいときは、それができませんので…。
外出するたびに、お金が減っているかもしれませんから
そのへんは、理解してくださいね」
女性の声が明らかにかわってきた。
「そうですか。暇さえあれば外へ出て行ってしまいます。
歩けば足の痛みがなくなると、信じているようで。
迷子にはなることもないので、ほっているのですがね。
それでいいですから、よろしくお願いいたします」
ほっと胸をなでおろした。
最近は、こんなお客様が増えてきました。
避けては通れない道です。
(2007年3月31日)
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