私の半生!


 高校の時の同窓会が大阪でありました。
奄美から東京から福岡.鹿児島.名古屋などから
47人が出席。34年ぶりに会う人がほとんどで懐かしい時間でした。
その中で、スピーチをした骨子です。
実際には、半分ほどしかしゃべれなかったような……
ちょっと、長文です。
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 こんにちは、宇崎です。いや本当に久しぶりでうれしいの一言です。
先ほどから何人かと話しをさせてもらいましたが、時の流れは残酷……
いや…あの…その。
お前に言われたくない、ハイ、そのとおりです

 全国同窓会をやるにあたって、大阪近辺の者が幹事をやることになりました。
私はサラリーマンでないし、土.日は忙しくしています。
一応、名前だけは入っていますが、結局は何もできませんでした。

 そんな中、お前は皆と違う経験をしたのだから何かしゃべってくれと、
言われました。津田君が大島高校のノーベル賞なら、(※彼は弁護士)
さしずめ私はイグノーベル賞と言ったところでしょうかね。
面白いかは、わかりませんが、少し耳を傾けてくれたら幸いです。
早くビールが飲みたいから早々に終われ、との声が聞こえてくるようですから
さっさとすませますので、よろしく。

4.5年ほど前でしたか、ここで関西安陵会が開かれ同期会をやりました。
その時は、関西一円だけでなく高松.名古屋から集まりました。
本当に久しぶりで飲んで話して歌って、楽しかった。
それからは年に1〜2度は集まって飲んでいます。

その中で、ある言葉が私には印象的でしたね。
 「高校の時のお前は怖かった」
突然、そんなことを言われて私はめんくらってしまいました。
(え〜、何、言うとんねん。お前の顔のほうが怖かったやんか。)
とは言いませんでしたが、
 「あの時は、そっちのほうが怖かったで」
私は率直な気持ちを言いました。ところが、周りにいた者も
 「いや、あの時の宇崎は怖くて近寄りがたかった。
怖いと言うより近寄りがたいところがあった」
皆にそう言われたら、たちうちできません。
ちょっとショックでしたね。

考えてみると、そう、そうなんです。目つきがきつかったんですね。
不良ぶっていたとか、格好をつけていたんじゃなかったんです。
眼が悪かったんです。それも、障害者になるほどです。
おそらく、それがきつい目をしていて怖かったと言わしめた
原因ではないだろうかと思います。

振り返ってみたら、高校時代はしんどかった。
一番前の席に座っても黒板の字が見えない。
辞書を見ると頭が痛くなってくる。
教科書を見ると、はきけがしてくる。
その代わり女の子を見ると、それは治りましたわ。
 (よっぽど、勉強が嫌いなダメ人間だな〜)
と自覚していましたね。正直、よく卒業したもんだな〜と思います。

気が弱かったら、いじめられっ子に、なっていたかもしれません。
今のように、バリアフリーとかノーマライゼーションの思想があの頃あれば、
別の道に進めたかもしれませんね。

卒業後は近畿大学の商経学部の夜学に入りました。
いや、夜学しか受け入れてくれなかった。
昼間は働かなければならない。職安に行ったら
ぶ厚い求人案内書が2冊も渡されて、その中から選びました。
そこで電機会社を選んだんです。

実は入るときにも、ちょっと問題がありました。
視力が弱いので入社試験に落ちる恐れがあったんです。
ちょうど、叔父が高校の教師をやっていたので学校の保健室から
視力表を借りてきてもらい、それを覚えて望んだのです。
ところが、視力表はまったく違う。あわてました。
考えれば、当たり前。それが二人にはわからなかった。

視力は、かろうじて0.3だったと思います。
それでもなんと、正社員で雇ってくれたんです。
包容力のある時代というか、寛容な時代だったんですね。

その頃眼鏡をかけてもよくならないので神戸大学の眼科へ行ってみました。
するとお医者さんは
 「これはダメですね。なおらん病気ですよ、障害認定をしたほうがいいですよ」
と言いました。
 (え、このおっさん何言うとんねん。)
と思いながら、はなしを聞きました。
 両黄班部変性症と言われました。
 「これは直りません、いやそのうちに見えなくなる可能性が強い」
衝撃的でしたね。
理療科の勉強をして、わかったんですが、人間の目の網膜つまり映像が映る部分には
黄斑部というのが中心部にあり、これは猿と人間にしかない高度な細胞ですが
そこから変性する、つまり壊れてくるという意味だったんです。
中心部に針ぐらいの見えない穴があき、だんだん広がってくるんです。

ふりかえって見ると、高校時代は見えない部分、視野欠損が
ピンポン玉ぐらいの大きさでした。
今では、バレーボールぐらいの欠損まで大きくなってきました。

中心部には、細かいものを見る細胞が沢山あります。
だから、細かい文字を見ようとすると、頭が痛くなってくるんですね。
高校時代に古語辞典や英和辞典を調べると、嘔気がしていたんですね。
幸い中心部は見えませんが、周りは見える。この周りには明るさを感知する細胞が
多く集まっています。だから、一人歩きもできるし、夜もかろうじて歩けます。

さすがに落ち込んで、仕事をする気にもなれなかったですね。
自暴自棄になって、酒を飲んで会社を休み続けました。
と、言いたいのですが、そうではなく、
そんなことは三日ぐらいで忘れてしまいました。
我ながら、あきらめが早いというかいい性格をしていましたね。

 あの頃は、若気のいたりというか、マルキシズムに傾倒していたのです。
え、マルキシズムって何?ですか。簡単に言うとですね‥。

たとえば、5〜6人で船に乗っていたとします。その船が転覆しました。
みんな海に投げ出され、事態は地獄さながら。そこへ1本の丸太が流れてきました
その丸太を必死でつかみます。当然のことです。
一人なら沈みませんが、5〜6人がいっぺんに丸太に
つかまれば、沈んでしまう。
 「こら、お前がつかんだら沈むやないけ、あっちへ行け」
丸太が‥ですね、マルキがですね、沈んでしまう。
マルキが沈まないようにするには、どうすればいいか!
あー、マ ル キ シ ズ ー ム!
確か、そんな思想だったと思いますが‥忘れちゃった。
 (* マルキシズム=マルクス主義者)

次の年には、労働組合の役員に立候補してしまいます。
現場で働くおばちゃんたちの苦しさを助けてやりたかった。
コンベアー作業での頸肩腕症候群.アスベスト.有機溶剤中毒などを
どうにかしたかったから、安全衛生対策部長として5年間やりました。
頸肩腕症候群では11名の労災認定、アスベストでは肺がんとの因果関係を指摘して
製造段階での使用制限などを勝ち取りました。
今、アスベスト問題がにわかに騒がれていますが、30数年前に
私は取り組んでいたのです。
あ、これはちょっとした自慢です。もちろん忙しくて、
大学はやめてしまいましたね。

かっての同僚たちがたまに、遊びにきます。
 「あの頃はゴチャゴチャうるさい過激派だと思っていたのに
先見の眼があったんやな。社長も今頃は感謝してるよ」
なんて言ってくれますね。

25歳のころからは視力の低下が顕著になってきました。
組合の役員もやめ、ひたすら辛抱の時期でした。
それが37歳まで続きました。
会社も私には「やめてくれ!」とは言いませんでしたね。
後が、怖いと思ったんでしょう。

その頃、どこから聞きつけてきたのか宗教に誘われます。
まるで、砂糖にむらがるありのようでしたね。
今では特定の宗派はありませんが大きな意味での仏教信者だと
自負しています。。

会社をやめると上司に言ったとき、彼は理由を述べる前に
あからさまに喜びました。
 「そうか、そりゃ大変やな。がんばれよ」
そう言いながらも目はほくそえんでいた。
不思議なことに、それだけはしっかりと見えました。
ホッとしたと思います。パートのおばちゃんのほうが仕事はできるのに、給料は
一人前以上に持って帰る。
陰口をささやくものもいれば、かばってくれる人もいました。
 「やめる必要はない、これからどうすんねん」
うれしくて、涙が出ましたよ。

37歳で盲学校へ入学。子供が中1と小5だったと思います。
確か、36歳のときには奄美で全国同窓会があったと思います。
私は、その頃とても同窓会どころでは、ありませんでしたね。

ところがいざ学校へ入ったら、文字は見えない、点字は読めない。
テープで録音して聞いて、勉強しました。
でも、入学してから3ヶ月ぐらいで点字に取り組むことにしました。
テープは不便なんですね。聞き違いをしたり巻き戻すのが時間がかかる。
なによりも聞いているとすぐに寝てしまう。
おおげさに言うと、それからは寝ても覚めても点字を触っていました。
根性だけは、ありましたね。

おかげさまで今では自分ひとりで開業して細々とやっています。
こんな話しをすると、
 「ヘエ〜、苦労したんやね。大変やったでしょう。」
などと人は言います。

そんなことは、ないんです。
実を言うと世の中って甘いんですよね。
いくらでも、やりなおしができる。
一生懸命にやれば、なんとかなるのですね。

あ、よかったら私のホームページを見てください。
音声だけで作ったシンプルなものですが、中途で障害をもった人間が
地域の人と、どう接しているかが載っています。
尼崎.マッサージで検索すれば、すぐに見つかります。
できれば、整風堂マッサージと入れれば確実です。

今、私は研究課題があります。それは、患者から頼まれたものです。
あ、大きな声では言えないことです。ここだけの話しですよ。
 「先生、5回ぐらいの治療で、もちろんマッサージでも針でもいいから
治療が終わって家に帰って寝たらコロッと死ねるようなツボはない?
なかったら、私が死ぬまで研究しておいてよ。」
 「ゲ、そ、そんなに人を殺人犯にしたいんかいな」
 「チャウチャウ、先生のことは誰にも言えへんから」
そんな訳で、“北斗の拳”を読んでいる毎日です。

あ、それから皆の前にこれから行きます。
 「私のこと覚えてる、誰だかわかる」
なんて言わないでくださいな。顔が見えないのですから
正直に名のってやってください。

みんな、美人、美男子にしか見えませんから…。
終わります。

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