たわごと
商店街には、師走になる前から、クリスマスソングが流れていた。
昼間はそれでもまだいい。夕方6時を過ぎると人通りは絶えてしまう。
静かな曲に切り替えるほうがいいのではないか。にぎやかな曲を流すほうが
かえって“みじめさ.みすぼらしさ”を強調しているのではないだろうか。
そう洋二はいつも思っていた。商店街の役員に進言してみたが
彼らは鼻で笑うだけだった。
(まるでゴーストタウンや。えらいとこに店をかまえてしまったもんや。
まだ7時やというのに‥‥。)
シャッターを閉めて、手袋をはめながら歩き出した。ゆきかう人はいない。
温暖化が進んでいるとはいえ、冬は冬。寒さはしっかりとやってきていた。
さびれた商店街はいっそう寒々としている。
商店街から路地へ入り、裏道へとぬける。
凸凹道も慣れたものだ。いつものように右足から入り、左足から出る。
朝晩、踏みしめた箇所が、洋二の足を誘導してくれる。
暗い街頭を慎重に進むと、ひときわ明るい場へと出た。
自転車は乱雑に置かれ、にぎやかな声と熱気が手に取るようにわかる。
ドア1枚向こうには、別世界があるのだった。
(寒いからよけい飲み屋には人が集まる‥‥。
今頃はみんな忘年会で忙しくしてるだろうな〜)
会社勤めのころを、洋二はふと思い出した。
「わしらは明日が休みやから、おまえの休みの今日が一番ええんや。
お客さんは来てくれるんか? 生活は大丈夫なんか?」
金曜日の休みに合わせて誘ってくれるのが、何よりうれしかった。
「このごろ、胃の調子が悪くてな〜、針でなおらんか」
「よっしゃー、来たらブスッと一発でなおしたる」
必殺仕掛け人の格好で箸を握った。ニヤリと笑うことも忘れなかった。
「ゲ、どんな針されるかわかったもんやないな。ハハハ‥」
「その前に酒の量を減らすほうが先やで。あんだけ飲んだら
胃も悪くなるわいな」
針などうったことのない人がほとんどだった。
「あと数年で退職や。年金も期待できそうにないし、
再就職も考えとる」
サラリーマンの話題には、洋二には口出しすることができない。
「それに比べれば、おまえはええな。体力の続くかぎりできるんやろ」
(てやんでー、一度おまえやってみろ。このきつさがわかってたまるかー)
とは言えるはずもなかった。
「畳の上の土方なんやで、いつまでもつことやら。
針の客よりもあんまやマッサージのほうが多いんやで」
ゆっくりとしゃべると、誰も聞いてはいなかった。
(これや)
洋二は手ごたえを感じて指に力を入れた。白菜だった。
(おかしいな、硬さは肉の感触だったのに。うん、ちょっと軽かったかな)
さらに挑戦。シイタケ、白菜、ふ‥‥。肉や魚は憎.憎しく箸をすり抜けた。
(まるでウサギや〜。まったく鍋料理はこれやから困る。
『中性脂肪とコレステロールが高いから野菜をたくさん食べてくださいね』
先月、血液検査表を見ながら言った医者が、この現場を見たら何て言うだろう〜な)
そんなことを考えながら、なおも箸を鍋に突っ込んだ。
「おいおい豆腐がグチャグチャやんか。
そうか、取ってやるから、待て待て」
ようやく、こうして肉にありつけるのだった。
刺身皿には大根のツマが残っているはず。さぐってみた。
何でもよかったので口にほうりこんだ。
(ム、ムムウ‥)
鼻を貫く刺激。痛い。わさびの塊だった。皿にはもどせなかった。
涙をこらえて飲み込んだのだった。
洋二の視力低下はわかっていても、そこまで悪戦苦闘していることなど
彼らにはわかるよしもなかった。
しかたなく、ひたすら洋二は飲み続ける。酔いは倍増。
決まって、翌日は辛い日となる。
飲みすぎると体力を使う洋二の仕事は地獄となってしまう。
もちろん、洋二は患者さんに匂いがするのではないか。
自分では力をいれているつもりだがはたして効いているのか。
という申しわけなさもある。
身体はしんどい。夕方に仕事が終わるとホッとする。
深酒ができないストレスを抱え、だんだん誘っても行かなくなり、
行かないから誘ってくれなくなった。
結局、彼らとは疎遠になってしまった。
自業自得であり、うらやんでもどうしようもない。
洋二は酒は好きである。が、量はそんなにはいらない。
飲まない日も自然に生じてきていた。
これが年をとるということなのかもしれない。
「家でゆっくりと飲むほうがうまいよな〜。
さてさて、なんで酒を飲む。我が晩年をいかにせん。な〜んちゃって。
おっと、まだ50を過ぎたばかりやった。
風呂に入って、ビールでも飲むとするか」
急ぎ足で、少し温まってきた洋二の身体を冷たいビル風がなでていった。
(別世界には、今や未練はない。ないはずだ。
まったくない。いや、少しはあるかな。
でも、時々は行ってみたいな。これは、未練ではないよな。
うんそうそう。今度誘われたら絶対に行こう。
いや、こっちから誘ってみるか。
あれ、いつのまにか変わってら‥‥‥)
洋二は県境の橋を渡りながら、視覚に入ってきた我が家を
意識しながら歩いていた。
(2008年2月4日)
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